産業革命はなぜ18世紀にイギリスで始まったのか(1)
上下水道や舗装道路など進んだ技術を利用していた古代ローマが産業革命を起こさず、18世紀のイギリスでなぜ産業革命という急激な変化が起こったのだろう。[1]
【産業革命による変革】
・資本家
生産性への投資が、新たな収益を生むという仕組みを構築。
・労働者
資本家と労働者という関係が生まれ、過酷な労働条件で働く労働者が増加。
・技術者
労働力を資本やエネルギーに代替する技術を開発。
・農業
地主から土地を借り農民を労働者として雇って働かせる資本主義的な農場経営。
【ミクロ・マクロ・ネットワークと革新的な変化】
環境に適応すべくさまざまなネットワークを広げるうちに超えることのできない【大きな壁】につきあたる。【大きな壁】の内側でネットワークは集散、拡大、刈り込みを繰り返しながら、環境変化に適応するための【プラットフォーム】を形成してゆく。あるとき発生した【急激な変化】をきっかけとして、【プラットフォーム】をベースにネットワークの形を変え、【突破口】を捉えいっきに【壁】をつきやぶり爆発的な速度で新たなネットワークを形成し始める。革新的変化の幕開けである。
【大爆発の突破口イギリス】
古代ローマや旧世界18世紀においても奴隷などの安価な労働力を有する国々は、機械による自動化という発想すらなかった。一方、18世紀の世界の中心だったイギリスは「高賃金の労働者」と「低コストのエネルギー(石炭)」を保有していたため、蒸気機関などを使った機械による自動化のメリットがあり、後に産業革命と呼ばれる急激な発展をとげた。
産業革命直前では、封建制度と重商主義を背景に、異なる複数のネットワークが網の目のように縦横に張り巡らし、それがマグマのようなうねりとなり集散を繰り返しながら、出口のない壁にぶつかり、ついにはイギリス(高賃金、安価な石炭)という突破口から産業革命というかたちで爆発的な変化を発生させ、ときをおいて世界に広がった。
【大きな壁】
17世紀までヒトは、その発展とともに集団の規模と居住区域を広げ、国家を形成し、より肥沃な土地を手に入れるための陣取り合戦を繰り返していた。土地の分配を基盤とする封建社会にとっての巨大な壁は、居住し、繁殖するために有利な土地に限りがあることだった。
参考文献:
[1] R.C.アレン(2017), "世界史のなかの産業革命 - 資源・人的資本・グローバル経済 - ",眞嶋史叙, 中野忠, 安元稔, 湯沢威訳 , 名古屋大学出版
Rovert C. Allen(2009), "The British Industrial Revolution in Global Perspective", Cambridge University Press